女の子の健やかな成長を願うひな祭り。
今回は伝統行事「桃の節句」に焦点を当てたいと思います。私自身もその意味や背景についてあまり知りませんでした。
この機会に深く掘り下げてみることで、伝統行事をより理解できれば良いなと思っています。
- 1月7日 七草の節句
- 3月3日 桃の節句
- 5月5日 端午の節句
- 7月7日 七夕の節句
- 9月9日 重陽の節句
桃の節句(上巳の節句)由来を調べてみました!
桃の節句の霊的背景
日本の神話における桃の霊力
古来より桃は邪気(穢れ)を払い清める霊力が宿るとされてきました。
古事記にも、イザナギノミコトが黄泉比良坂で桃の実3個をとって黄泉軍を迎え撃つと、桃の呪術的魔除けの力を受けて黄泉軍は全て引き返していったとあります。
また桃の花は美しいだけではなく、邪気を払い長寿をもたらすとされています。
古代中国の影響
古代中国では奇数を陽数(吉をもたらす数)とし、特定の日(旧暦3月の最初の巳の日など)に悪を避けるための行事が行われていました。この思想が日本に伝わり、桃の節句の時期や風習に影響を与えたと考えられます。
雛祭りの風習の進化
草ひとがたの風習
古来より、疫病を祓い身を清めるために草ひとがたを立てる風習がありました。これが時代を経るにつれて、人形に身の汚れや心の汚れを移して川に流し、厄払いと自己の浄化を行う行事へと変化しました。
ひいな遊びの起源
平安時代には、「ひいな遊び」と称されるお人形遊びが行われており、これが現代の雛人形飾りの原型となっています。「ひいな」とは、元々「小さくて可愛らしい」を意味する言葉で、この遊びに用いられた人形は藁など自然素材で作られていました。
まとめるとこれらの要素から、桃の節句や雛祭りの起源とその風習は、古代中国の文化、日本の神話、及び古来からの日本の風習が組み合わさって形成されたことがわかりました。桃の霊力を信じ、疫病や邪気を祓うための儀式から、女児の健やかな成長を願う現代の雛祭りに至るまで、長い時間をかけて進化し続けてきた日本の美しい伝統と言えますね。
雛人形の飾り方探訪
ここでは管理人が気になったことだけを探訪していきたいと思います。
- 京都では向かって右が男雛、左側は女雛
- お内裏様の内裏とは宮中の内裏という場所に由来します。日本は古くから左側の方が位が高いというしきたりがありました。平安時代の帝は妃の左側(向かって右側)に座っていたため、そのしきたりに従っているようです。
- 七段飾りの飾り方は?
- 一段目:女雛と男雛
二段目:三人官女(座姿の官女が中央)
三段目:五人囃子 向かって右から謡い(うたい)・横笛(よこぶえ)・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ)・太鼓(たいこ)
四段目:右大臣と左大臣(向かって右が左大臣、左上位なので右大臣に比べて年上です)
五段目:仕丁
六段目:嫁入り道具揃え
七段目:御輿入れ道具
- 菱餅の意味は?
- 菱形になった理由はよくわかっていないようですが、菱は沼や池などの中に生え水面に浮かぶ植物です。また菱の実は尖っているため魔除けの意味や、繁殖力が強いため子孫繁栄や長寿の意味もあります。
菱餅の色は二色、三色、五色などありますが、一般的に三色は下から緑・白・赤の順番になっています。「雪の残る季節から大地には若葉が芽吹き、桃の花が咲く」という情景をおもちで表現しているようです。
ちなみに雛霰は菱餅を食べやすく砕いたものが原型だとか。
おわりに
昨今では雛人形を飾る家庭が少なくなってきたとはいえ、桃の節句に込められた想いは時代を超えて受け継がれていることがわかりました。この節句は、単に季節の変わり目を祝うだけでなく、家族の絆を深め、子どもたちの明るい未来と幸せを願う大切な行事です。桃の節句を通じて、古来より大切にしてきた想いを心に留め、次世代へと繋いでいきたいですね。